「かむろ」の中には、時代に先駆けて行動を起こし、海外に、全国各地に雄飛し、活躍をした多くの「かむろ人」の軌跡が残されています。
今年最後の草刈りをするため20日から2泊3日で帰島した。小春日和の穏やかな一日であった。
大正期の沖家室出身のハワイ等への出稼者名簿を整理しなおしました。
彼岸に合わせ帰島を考えていたが天気予報が思わしくなく26日からの帰島にした。
小学生から中学に入ると、佐連からの生徒も家室の中学に通い。瀬戸丸で通い始めて仲間も増えた、
マダイの魚価が20年前の4分の1に ヒラメやアコウは半値 魚食減った影響?
私の家室の盆は13日の棚経に始まり、16日の流灌頂で終わる。
石丸弘様から洲崎の観音様に関するご質問がありました。 私の知る限りの情報をご提供します。
私が東京デビューする前年昭和33年は様々な出来事がありました。
洲崎の観音様について歴史、いつ、誰が、何故、等々詳しく知る人がいませんか?そんなこんなで、キャンプ場に着くとテントは張られていた。(合計10サイトが張れる)
「え、これが天国」一瞬頭を過ぎりました。決して家室が天国とは思いませんが海の波紋、濃淡、山の緑、紅葉する木々を見ているとこれもいいものだと考えるようになりました。
一昨日、東京かむろ会会長の八木正共さんから「東京かむろ会 第七十回記念誌 沖家室島」20冊が送られてきました。
宿がとれないと相談をうけ、ならウチへどうぞと東京からの参加者夫妻を迎えた。でも参加するのは夫だけで、奥さんは近場を散策して時間を過ごすという。
NHKの朝ドラは、4月から新しい物語に入った。ドラマの題名は「虎に翼」となっている。
競りで思い出すのは沖家室漁協の魚の値付け、地元では「値たて」と言った。
なんと...NHK総合・全国ニュースでの5分弱の特集放送が決まりました!13日(水)13時〜NHK総合「列島ニュース」内の予定だそうです。
木村さんはハワイとふるさとの沖家室を繋ぐキーマンで、いつもお世話になっています。
ジェームスさんは、アメリカの作家ジャック・ロンドンに影響を与えた日本人として注目されている中田由松さんの孫にあたります。
2023年、今年の東京かむろ会開催で節目の第70回となりました。これを記念して東京かむろ会記念誌を発行する事となりました。
本日、沖家室シーサイドキャンプ場のオープニングセレモニーが行われました。
屋代島との伊予との関係を勉強していますので徐々にUPしていこうと思っています。
そのグランドにキャンプ場ができるというので、ホタルのことが気になり、孫たちと夜に出かけてみました。
代官を石崎家の流れをくむ友澤家が御番所・舟番所の舟究役(ふなあらためやく)を務めました。
西村季芳さんは本年2月6日15:14、肺炎の為宇部の病院で亡くなられました、享年98才です。
新しく迎えた2023年は、十二支では4番目の卯、十干・十二支では40番目の癸卯(みずのとう)に当たる。
島のゲストハウスとして使われている「群山荘(くんさんそう)」。この建物は、かつて朝鮮半島が日本の統治の時代に朝鮮人参などを商いにして財をなしたご当主が別荘として建てられたもの。
周防大島の今昔を話題にしていますので、興味のある会員様に紹介して頂くと助かります。
詩は今でも全部覚えています。 ごーざった ござった 亥の子様が ごーざった・・・・・・から始まり恵比須様と大黒様が舞い込むように繁盛へ~繁盛へ~で終わるこの唄
いま、この一帯は再開発によって大変貌を遂げている。通い慣れた八重洲南口を出ると、正面には45階建て・240mの東京ミッドタウン八重洲が
面白い写真が出てきました。1955年11月11日ハワイ沖家室会が望月亭に集まりました。
NHKの大河ドラマ・鎌倉殿の13人を見ていたら、最初の舞台は伊豆の国市だったと解説されていた。
今から76年も前の出来事です。私達兄弟、姉妹4人とお母さんが暗い家の中でひっそりと身を隠して生活していた。
周防大島、久賀町で電機の修学して3年が立った時、広島の地を踏んだのが昭和36年でした。
昭和30年代には、この沖家室で真珠の養殖がおこなわれていた。加工場は旧小学校のすぐ近くのお宅だった。
沖家室に伝わる手打ちの釣り針。家室鈎(かむろばり)と言います。
沖家室の空撮写真を持っています。皆様に提供したいと思いDVDで郵送します。
小さな白い蛾が電灯の周りを飛び回りはじめた。そのむさ苦しさに、ついたたき落としてしまった。
#沖家室ひじき のInstagramでの情報発信もスタートします...!
愛媛県西予市の下泊(しもどまり)、旧西宇和郡三瓶町(みかめちょう)に加室浦という地区がある。
銀行に勤めていた3年前までは、まさか自分が漁師になるとは思いもせず...。漁協にも入り、船も頂き、船舶免許も取り...
西村季芳さんの「沖家室島5, 6を拝読し、懐かしい白木村での様々な生活と思い出に感謝、感謝です。