11日、正月様を降ろしに帰島した。
102歳になる同級生のお母さんの訃報に接した。同級生と話しているとその中に入り、家室のことをいろいろ話してくれた。言葉の量が多く話していても全く違和感がなく聡明さを感じ、楽しく聞くことが出来た。話の中に「家室の人はミカン倉庫に暮らしている」と揶揄された昔話があった。この島に三千人を超す人が暮らしていたのだ。今は空地になっている狭い土地にも家が建っていたことを思うと・・・。
以前、「かむろ会」で幼い頃近所に住んでいた人と飲み語っていた時「昔は貧しかったよな、働くしかなかった」という言葉に触れた。この「働くしかなかった」という言葉が「かむろ人」の力になっているのではないか、とふと思った。私が社会に出る時、母は「銭、金言わずに働け」と言って送り出してくれた。実際、寝食以外は両親の働く姿以外に記憶はない。30歳前に盆踊りで父が太鼓を叩いているのを初めて見た時、父の青年時代をふと思い微笑んだ。
いろんなことが頭の中を去来する午後となった。「よしだ・たくろう」の2014、2019年のライブを聴きながら正月の残り物を肴に飲む。
朗報、MさんからLINEがあり中国新聞が一部追加となり帰島時、手に入るとのこと。めでたし!