
イギリスの諺(?)に《3月はライオンのように訪れ、羊のように去る》とある。
家室で生まれ育ち、広島で生活を送る身として、これは2月に当たると思い過ごしてきた。
今年の2月、3月は羊の出番は少なくライオンが出る日々が多かった。
広島の家の前には北西に拡がる沢があり、樹齢40年以上の梅の木が2本ある。日当たりが悪く例年では2月中旬を過ぎて花を見せてくれるが今年は帰島の途に着いた3月13日には花を見せてくれなかった。
回向塔婆をお願いに帰島した。
メールか電話でお願いし後は振り込みで済むのは分かっているが、用事があれば帰島し顔を合わせお願いするのが家室を身近くに感じ続ける一つの手段と思い続けている。
回向塔婆につては、両親が続けてきたことを継続する義務感、泊清寺が伝統を守り、それを家室の人や檀家の人が支えることへの敬意でもあると思い続けている。
「信心」という言葉もあるが、そう言う心情とは少々違うところにあるか・・・。
「司馬史観」という言葉があるが、それに針の穴よりも小さな穴を開け、覗いた身にとっては日本の神道や仏教は難しい・・・。お宮でも、お寺でも、何も考えず、ただ手を合わせ、頭を垂れることしか知らない。
お寺の山門をくぐると、お大師堂からお寺の屋根に掛けて花が咲き誇っていた。「何の花?」と問うと、お大師堂から「垂れ梅」その下が「ワシントン桜」(正式な名称ではないかもしれないが家室ではそう言っている)その下が「河津桜」と聞く。登ってみると、もう一つその下に満開の梅があった。
お大師堂に登って本浦を一望すると、中学校跡地には河津桜が正に満開、帰路の小積の河津桜は葉が出て花も少なくなっていたが家室では十分に楽しめた。
今まで気付いていなかった早春の花の家室が楽しめ改めて家室の一面を覗かせてもらった。
今の時期、帰島しても、やることはこれといってなく、用事が済めば本を読み飲むだけである。
本は今年に入り読み始めた塩野七生「ローマ人の物語」(前回「道」と記したのは誤り)文庫本の10巻、ユリウス・カエサルのガリア戦後期からルビコン川を渡るまでの物語である。例により生ハムとキュウイをつまみに飲みはじめた。
14日は満月で、月見でもと思ったが雲と花粉と黄砂でぼんやりとしか見ることはできなかった。それでもいい気分転換になった。
15日朝に家室を発ち帰広する。家の前の梅の花は3分程度咲いていた。
しばらくは梅香を楽しめる。