お久しぶりです。
6月27日早朝体が痛くて目が覚める。腰から下、大腿骨がしびれ布団の上にも起き上がれない。先日は、疲れて早くに床に就いたのにナンジャ?コリャ❓です。
ベッドから何とかずり落ちるように立ち上がると、下半身が痛くて歩く事さえ出来ず。しばらくは茫然とベッドにうつ伏せになるが、シビレや痛みは治まることを知らない。寝室は2階にあり、1階に降りることも大変で手摺にしがみつく様に階下に。26日までは何ともなかったのにと、話しつつも9時を待つ。
整形外科が家から150mのところにあるが、何時も満杯である夕方の診察を予約して、ひと駅向こうの整骨医へ朝一で駆け込むと骨盤が歪んでいるとのことで、整体する。不思議と歩けないが自転車には乗ることが出来る、もちろんなにをしても痛い。整形外科での診断はレントゲン検査の結果。骨の軟骨がすり減って神経に当たるとこのようになるとのこと。詳しくはMRIを見て判断(1週間待ち7月9日)痛み止めをもらって帰宅。翌日からは、整骨医には朝一日曜日を除いた毎日通院。MRIの結果、突然の不調原因は脊柱管狭窄症、翌日から電気治療(週4日)三か月間通院。
1か月歩くことさえできず、整骨医と整形外科の2か所を通うのみで家に籠りっきり。一番の困りごとは、大便をすることしゃがむと飛び上がるような痛み。トイレットペーパーを使えない事、手がお尻迄いかない事。すべてが嘘のような状態、我が家のトイレは様式でお尻は温風で乾かしていました(時間が掛かる)。
それから、整骨医は1か月で辞めました(効果がいまいち良く解りませんでした)、整形外科は7月9日から電気治療で週4日3か月皆勤賞者です。投薬と電気治療で11月からは病院ともオサラバしていますが、歳と共に体のねじが緩むようです。元のようにはなりませんが、ゆっくりと出来るようになりました。
このような事があり、いろいろ考えさせられました。
60年前は家室で久保の畑で出来たサツマイモを老い子やテボで家の芋蔵に運んでいたこと。近所の年寄りの家に井戸から天秤棒で水を毎日運んだこと、各家に水瓶があり柄杓で水をくんでいた(沖家室大橋が出来るまでは家室には水道はありません)
若い頃の体の酷使が今頃出てるのか?足腰の自由が利かない今、私にとっては病院がすぐ近くにあることが必要不可欠。沖家室の人は皆元気で生活している夢物語のように思えてくる。
7月6日の大阪沖家室会にも行けなかった、年に一度の懐かしい顔も声も聞けずじまい。
体の負重が行動や思考迄、落ち込ませるのか?
もう沖家室には、帰ることすら叶わない様な気がする。
あの海、あの山、あの空気。
洲崎の波止から眺める家並み、観音様から見る洲崎の波止場。
お宮から見える漁港やお寺、沖家室にある造船所も見える。
白木山もそびえたつ、お宮の端からは中学校景色が瞼に浮かぶ。
今度、何時、沖家室の地に立つことが出来るのか
思考は走馬灯のように早鐘を打ちながら走り回っています。
皆様のご健康を願います。