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ルーツ研究

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小田 哲生

大分市 上八幡


沖家室島はルーツ

柳原兼吉とルーツ調査

小田哲生 投稿日2025/4/29

拝啓 かむろ会のHPはここ数年間、楽しく、興味深く閲覧させていただいております。特に、Kamuro通信誌などを読み、先人たちの活動の歴史には感激しています。


ところで、“柳原兼吉のルーツを知りたい”を閲覧しました。

 

私も同じような先祖の調査の中で、“柳原兼吉”氏関係の資料が少し集まっていましたので、送付します。ご活用いただければ幸いです。Gregory Yanagiharaさんに少しでも役立てれば幸いです。西村鹿蔵の身近な人だったようです。


(1)泊清寺の本堂のヒロの寄付者名に“柳原兼吉”があります。資料1


(2)柳原兼吉の妻は“木村トメ”ですが、 私の調査では、ハワイのヒロとホノルルに“柳原トメ”が2人おり、2人の夫はいずれも、沖家室の出身です。 資料2

ホノルルの“柳原トメ”は柳原為蔵の妻です。2人の生年と没年が混同しているようです。


(3)私の調査では、柳原兼吉の父は柳原丁松、母はマツ(木村重吉の姉)です。


(4)柳原丁松の4女(ハナ)は西村萬治の妻です。

また、西村萬治は系図作成で有名な西村季芳氏の伯父です(季芳氏の父・熊次の長兄が萬治)。


(5)柳原兼吉・トメ夫妻には2男3女がいたようです。 資料3(2)

Gregoryさんの父母等は分かりません。


(6)次のような新聞記事があります。 資料3


① 柳原兼吉は柳原商店の店主として働き者で、繁盛していた。1958年1月没(75歳)(1)(2)(6)

*兼吉のフリガナでは“かねきち”と“けんきち”がありますが、収容所情報などから“かねきち”と思います。


② 長男は兼明で(新聞では“謙明”ですが誤字と思います)、前田敏子と結婚。結婚式で西村鹿蔵が柳原家を代表して謝辞を述べている。(3) また、長男はスタンレー兼吉です。 (4)


③ 次男は廣行で、山口高商出の秀才、陸軍中尉。フードランド・マーケット副支配人、娘のアイリンとみえが藤間英順氏と結婚。(1)(5)


④ SUISANの写真が掲載されていますが、柳原兼吉は“監査”をしていた(1915年)。(7)


●添付資料

(資料1)泊清寺本堂の寄付者

(資料2)二人の柳原トメ

(資料3)柳原兼吉などの新聞記事


(参考)

●私の調査に基づく“西村鹿蔵”などの簡単な履歴


1 私の妻の従妹(カリフォルニア在住)の母方の曾祖父が西村鹿蔵です。


実は、5年程前から従妹の依頼により調査を始めました。①山口県出身で、②水産会社に関与していた漁師という情報のみでスタートしました。


2 日本ハワイ移民資料館への照会から、布哇日本人発展銘鑑で沖家室の出身であることが分かり、通信誌kamuro、沖室室の泊清寺の訪問、ハワイの日本語新聞などから様々な情報を得ることができ、現在、まとめているところです。


3 沖家室の本浦出身の“西村鹿蔵”は2人いましたので、混乱しました。私の調査対象の鹿蔵の妻は八木トワで、もう一人の鹿蔵の妻は石崎ㇳヨです。いずれもヒロに墓があります。


4 西村鹿蔵はハワイ移民の当初は(養子)“八木鹿蔵”でしたが、その後、西村に復姓しました。鹿蔵はSUISANの社長、特に、副社長を長く務めています。Kamuro復刻版第2巻(P.128)の“布哇ヒロ子持番附”の西の横綱です。

             ( 誤:西村鹿三、三男七女 → 正:西村鹿蔵、二男八女 )


5 西村鹿蔵の長女のトモヨは松野亀蔵(SUISANの支配人、社長)の夫人です。現在、子孫がSUISANを経営してます。


6 西村鹿蔵の長男の秀一(秀市の表記で、“ハワイに渡った海賊たち”に掲載あり)は歯科医師で、のちにハワイ県歯科医会長を務めました。



    泊清寺本堂の寄付者
    二人の柳原トメ
    柳原兼吉などの新聞記事
    泊清寺訪問

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