今年の最後の草刈りを行うため20日から22日にかけ帰島した。草は思ったほど伸びてなく草刈りは止めにする。
帰島した20日は「広島かむろ会」の旗をお寺に預けてもらっているためお寺に。お寺の銀杏はまだ緑を保っていた。幸い住職が在宅で1時間程度話をする。互いに今年は後期高齢者になる身、健康の話になる。話の中で宮本輝氏の新刊「潮音」を購入したとのこと、私は数ヶ月前に古本屋で出会ったが、まだ高く購入を見合わせた。
帰宅後はコタツ、ストーブを出して冬支度を行う。昼からは曇り空となったが使うほど寒くはなかった。西からの風のため引き潮と重なり合う灯台の周辺では白波が立ったが、目の前の海は青さを保っていた。
本棚から沢木耕太郎氏の映画論評集『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』を取り出し飲みながら読み進める。彼の論評は映画の内容を細分化するものでなく、現実に戻ったり、自信の経験を織り交ぜたり、他の映画を引っ張り出したり、と入り込みやすい。この本の解説者は彼を「シネマの巡礼者」と表現している。彼の映画評論集は『世界は「使われなかった人生」であふれている』というのもあるはずであるが、本棚を捜したが見当たらなかった。
翌日は草刈りを止めた代わりに、今まで刈り取った草や木枝を処理する。通常は瀬戸で焼却するのであるが、風が西から吹きこれもできなかった。西風は地形の関係で瀬戸とお宮あたりで特に強く吹く。
昼からは旧中学校跡(キャンプ場)まで散歩をする。12月からのヒジキ取りの準備をしていた。
本棚から村上春樹氏の「女のいない男たち」、浅田次郎氏の「鉄道員」(ポッポ屋)を取り出し飲みとする。浅田次郎氏の短編は亡くなった人を世に戻し話を進めていく作品が多い。その登場のさせ方、種明かしが絶妙で、今の日本の作家では独特の存在を感じると共に優しさを感じる。いい気分で一日が暮れていった。
後日談であるが、帰広時に車のラジオから広島城で「酔いどれ古本市」の紹介があった。翌日、2年ぶりに広島の中心街にバスで出る。覗いてみると、ワゴンが4,5台の古本市であった。一通り見て離れる。街中の古本屋を覗いてみると住職が購入したと言う「潮音」全4巻があり購入した。今までの宮本輝の文筆とは異なる感があり読み終えるには時間がかかりそうである。