大正期の沖家室出身のハワイ等への出稼者名簿を整理しなおしました。
この名簿は1914年9月から1916年7月までの雑誌「かむろ」記事を私が整理しなおしたものです。 当時の当事者、編集者の人達が読みあっていますから、ほぼ一次史料に近いですが、号によっては印刷間違いかで姓名が違う場合がありますので一部の人は姓名が違っているかもしれませんが悪しからず。
整理してみると延べ200人近くになるが実態は採取漏れや配偶者、子供たちを含めると四倍以上の1000人近くになると思われます。ハワイ渡航の多くの人達は大島郡の他の地域の砂糖キビ畑労働者とは異なり、沖家室では特異な漁業を中心とした関連事業に従事していることが浮き彫りになります。他の外地、朝鮮、台湾に出稼ぎに行かれた人達も多くが漁業を中心とし、漁港周防大島沖家室の枝村を作ったとことを意味します。内地(当時の旧日本国内)の出稼ぎ人たちが盆正月に帰省すると文字通り「盆正月に沈む島」となったことでしょう。
注1) No.欄にNo.があるのは大正4年(1915)のリストにある人のみ付けてあります。空欄はその後の人達。
注2) 漢字の姓名は一部時期によりミスプリント有り。英語の姓名は当方で解釈したもので正誤は不明。
注3) 備考欄は時期に関係なく採取。住所の→は後の転居先を意味します。
注4) 表の人はほぼ物故でしょう。子孫が下記の人達を調べようとすると、明治5年以降の肉親の情報は現・周防大島町役場戸籍係で「改正原戸籍」の請求をすれば分かるでしょうが、申請人は直系親族に限られますので要注意です。また明治の壬申戸籍作成前の各戸系図は一部、沖家室の泊清寺にありますが、個人情報故、直系親族のみアクセスが可能かもしれません。住職にお問い合わせ下さい。原則、不可ですが。