先日、泊清寺住職の御厚意により檀家家紋帳を拝見することができた。
言うまでもなく、沖屋室島は戦国期の豊臣秀吉の「海賊禁止令」により海賊島としての役割を終え無人化してしまったが、其の後、伊豫興居島から石崎氏や柳原氏の旧伊予河野家家臣団が移り住むことにより再開島することができました。
多くが旧伊予士族で構成されていると思われますが、家紋帳の変遷を見る限り、明らかに伊予士族を継承する家紋は「折敷縮三文字」紋を継承する、沖家室の柳原始祖家でした。同じ柳原家も分家繁茂により時代が下がるにつれ家紋が変形していきます。同じ家名の家でも同じことが起こっています。また同じ家でも商売を始めた家は「屋号紋」所謂、商標(トレードマーク)と変形しています。
開島の祖、石崎家の家紋が河野系ではなく足利系家紋であることはには驚いた。てっきり、「折敷縮三文字紋」と想像していたが、足利家の「丸に二引き紋」であったので河野家分家のではないとおもわれます。他に河野家分家を思わせる「亀甲に三文字紋」家と河野家別紋とされる「三蓋松紋」を継承する家は伊豫河野家支流と思われます。
ビジュアルで投稿すれば良いと思いますが、手間がかかるのでそれぞれ探索してくださいね。
下記は昭和43年4月に山口県大島郡東和町沖家室島の白清寺檀家の家紋を北川玉峯氏が整理整頓し各家の家紋を謄写したものである。実物はビジュアルであるが割愛します。