10月18日
二度目の九州行きは宇部の西村さんと、新幹線の小郷駅で時間の待ち合わせをした。 ところが、山田は電車を乗り間違えで、約束の時間に遅れ、慌てて駅の外に出た。 とたんに目の前に車がすっと止まった。
「山田さん、どんなにか待ちくたびれたでしょう」と西村さんが言う。
「ありゃ、そりゃ、私がいう事じゃ。 (山田は)電車を間違えて乗り、遅れたから、西村さんは待ちくたびれて宇部に帰ったかもしれんと、思って居たら、あんた(西村)の車が目の前に止まったのでやれ助かった。」と言う。
西村さんは、「山田さん待たして済みませんでした実は拓本の紙を忘れて、途中で家に引き返して来たから遅く成りました。」 西村さんに言う、 「山田も電車を間違えて約束時間よりも、随分遅れたので、慌てて駅の外にでたら、西村さん貴方の車が目の前に来た、貴方こそ長く待ちくたびれたのでは無いですか?」と二人で大笑いする。
これも、やはり先祖が調整して呉れて、二人を何処までも守って呉れている印だ。 今度は呼子の加部島に直行した。
10月19日
10月19日 田島神社で神恩報謝の祈願祭を 西村季芳、山田重利の二人で祈願する。
この度は風の見える丘公園に登り、呼子大橋をバックに二人で交互に記念写真を撮る、 沖家室島と呼子は明治より以前の元寇の役頃から繋がりが有ったのでは無かろうか?
呼子には家室の者が寄留して、その子孫の方で、柳原修さん(東京かむろ会員千葉市在住)は戦後台湾から引揚げて、呼子の学校に行った。
友達の田島神社宮司の平野良興さん、呼子町で岡部釣り具店、会長(町会議員)岡部秀夫様にお会いして、お話しを聞く事が出来た。 突然、お伺いしたのにも関わらず、心よくお会いして下さった。
お話しを聞くと、呼子、唐津、伊万里、には家室の子孫の方で町会議員や教育委員長や町の有力者が沢山居ると話され「かむろ」と言う名前が頻繁に語られた。
そして、「かむろ」の漁師は何時も床の間を背にして、先生と崇められ、特別に尊敬されて居たと話して下さった。 石灯籠を見れば、やっぱりそうであったか、成程と思われる。 前もって判ってれば、皆の人にも集まって貰って話が出来たにと残念がられた。
それでも、北村七衛門、石山虎一、柳原彌一、向井吉太郎、柳原 某、住田虎一、松原隆一、北村秀吉、中でも、向井善一さんは、鯨を切り開くのが名人だったとの事、
話しは尽きないが、唐津、呼子を後にして広大な海、無数の島々、その景観に魅せられながら、鎮西、玄海、伊万里、松浦、田平、平戸の大橋を渡って、宮の浦に向かって、天気は好し、道路は好し、快適のドライブだ。