長男でも一人息子であっても島を出る事は、平気で、ハワイでもブラジル、アメリカ、台湾、満州と何処に行っても苦難を苦と思わず、一生懸命に働き成功している。
ハワイ移民も山口県で大島郡が一番多くその中で沖家室の人が飛びぬけて多い。 今でもお盆に沈む島と言われるほど各都市から故郷の沖家室島に帰る。
これは以前から、受け継がれた伝統で海に命を駆けながらも信仰と神に縋り家族の絆を強くした証だと思う。 その血は吾々にもうけつがれて流れているに違いない。
やがてそれは島に何事が起きても、団結し、部落の事、全体の為を優先する力となる。 それが、東京かむろ会、関西かむろ会、宇部かむろ会、ハワイやホノルル、ヒロのかむろ会が盛んになっている源泉であろう。
「重利が子供の時、爺さんの膝で伊万里、唐津、呼子の話を聞いた呼子は此処か。」 何処となく家室と似ている所が懐かしい、どれも、見知らぬ土地に来たとは思えない。
右側の石灯籠と拓本は明日やる事にして、今夜は唐津第一ホテルに泊まる事に決めた。 唐津、伊万里の町の資料の本を探しに本屋に西村さんと出掛けた。ところが帰りの道が判らなくなり、目標の灯は次々に消えて、道を聞く事も出来ない。
やっとスーパーを見つけて道を尋ねた。 店長は道を教えながら、「この場所からは教えても、又迷うに違いないから店の車で先導して上げる。」と、西村さんは夜も更けて遅いからと遠慮する。
店の中から奥さんが出てきて店長に、「ここから第一ホテルに行くには、又道に迷うに間違いないから連れて行って上げなさい。」といわれた。
それでも、西村さんは固辞する、山田は西村さんのお尻をつついて、行って貰おうと。 つついても返事をしない、そこで山田は店長に「お願いします。」と頼んだ。
西村さんも店長の車の後に付いて走り出した。 走りながら、この複雑な道をあの儘、走って居たら、恐らく夜通し走ってもホテルには、たどり着く事は出来なくて、野宿をする事になっただろう。
此れは、先祖が見かねて誘導して下さったに間違いないと二人で話した。