それから下関の関門大橋の下のサービスエリアでワカメの採りたてを袋に入るだけ入れて又詰め込んで其の上に山盛りにし尚その上に店の叔母さんが無理に山盛りにする。それで四百円と言うので二人で買ったが、旅の途中の思い出だ。
関門橋を渡り九州に入る。 九州のサービスエリアの金立(きんりゅう)で一休みして計画を建てる。 遠い所から海岸沿いに拓本を取りながら帰る事に話を決める。
それにしても、今夜は出来るだけ目標に近い所で武雄の温泉に泊まることにした。旅館は「花月」と言って、一泊二食付、二人で二万一千六百円、消費税千八十円、入浴税二人で三百円也。
7月12日
7月12日、「花月」を八時に出発、雨が激しく降り出したが、この雨位は何の不安もない、年は取っても、腕には自信が有る西村さんだ。 松蔵爺さんが、船に乗れば、船頭、車に乗れば運転手に任せと言って居た。
西村さんが新車を運転して呼子に向かう、橋を渡り左の方に向かって走っていたが。 「山田さん、どうも様子がおかしい。」と言うて、今度は間違いないと二人で話しながら、何の疑いも無くどんどん車を走らせた。 所が、「?ありゃ、山田さん行き止まりだよ。」
此れから先は道が無い、仕方がない、元の所まで引き返す。 橋の袂の人に道を聞いたら「この橋は名護屋橋で呼子の大橋とは違う。」との事、こんどは道を聞きながら走る。
午後四時頃に、やっと、呼子大橋(平成元年架設)を渡り加部島の田島神社と言う、大きなお宮に来た。 県内、最古のお宮で石段を登って、広場があり又石段を上がると大きい広場がある。
その正面に立派な拝殿があり二人は此れから先の無事を祈願した。 前の石灯籠に振り向いた、瞬間、「あった」、見た、「あっ」と西村さんが叫ぶ。 「山口県大島郡家室唐津組船中」の字が眼に飛び込んだ。
尚、その裏側には「明治十二年一月」の字がハッキリと読めた。
これは唯の「不思議や偶然ではない」「先祖が引き付けた」に間違いない。