7月8日
平成12年(2000)7月8日朝、東京駅6時55分発の「のぞみ」で新大阪へ向かい、9時26分に付いた。
京阪電車の地下道で、西村季芳さんとばったりとぶつかり。
「山田さん、あんたどこへいくの?」
「わしゃ関西かむろ会に行くが、西村さんこそ貴方は何処へ行くんか?」
「私も、かむろ会にいくんよ」
「じゃあ、一緒に行こう」
と2人で「関西かむろ会」に出席した。
都会では場所と時間を打ち合わせてもなかなか会う事ができないのに会った。 これはただの偶然ではない、先祖の引き合わせと思う。
それから、やる事なす事次から次に先祖が導いていると思える事が起こった。
7月9日
山田は、7月9日、拓本の道具を取りに沖家室へ寄って宇部に出掛けた。
7月10日
7月10日は雨、宇部の西村さん宅で、家室の昔話を夜遅くまでする。 これから宇部を起点にして、先祖や先輩が活躍した、九州の何処かに何か遺跡を残して居るに違い無い、何処に有るか判らなくて雲を掴む様な発想で探す事にした。
7月11日
7月11日晴、前回雨の為出来なかった、下関金比羅宮普応寺にある玉垣の石碑で「金百円也大島郡沖家室、関八艘組」の拓本に再度、挑戦する。 前回は雨で中止していた。
紙が乾く迄の間になんとなく後ろで、「おーい、此処にも家室のものが居るぞ」と声がした。
思わず振り向いた、とたん西村さんが「有った、有った」と大きな声で指さしている。
その指先には、「金五十円也大島郡沖家室 山本兼五郎」の字がはっきりと読めた。
それで又新しく、家室の先輩の玉垣を発見した。
これも、先祖が導いて呉れた事と思い、此の先も旨く行く事を二人で確信した。