朝鮮の釜山で武田鉄工所に入所する前に漁船のエンジンの修理をする者を見たら、ズボンが真っ黒に油で汚れて壁のようになっている。 あれなら汚れる仕事だ。 爺さんがいつも言っていた。 お金は汚く儲けてきれいに使えと言っていた事を思い出し、あれならいい仕事だと思い石丸丈助さんと相談して、武田鉄工所に入所する事が出来た。 武田鉄工所に入所してからは将来は自分で独立して会社を経営するんだと心掛けるようにした。 船に乗れば船頭、大工になれば棟梁、鯨の尻尾になるよりも鰯の頭になれと言っていた。 一人前の職人になるよりも、良き経営者になろうと心掛ける事にした。 入社三年目からは兄弟子を超えて見習工、全員の給料をまとめて貰いそれぞれに給料を渡す役を申しつかるようになり、夜中に入る漁船の機械の修理の単価も山田が決めるように任されるようになった。 昼間の賃金の三倍位が相場だが、山田が造った品物は四倍から五倍も高いぞ。 これでは値引きされてまけろと言われるぞと社長に言われる、値切られるような仕事はしていないから値切るようならこれから仕事をやらないだけです。 山田はそう言うが良いお客さんだから離さないようにしてくれと、社長は言う。 漁船の機関長や船長は、山田が修理した物は二度と修理する事はない。 巻揚のローラを造り替えても調子が良いので他の船の者から、お前の船のローラは、どよう(とても)調子がいいが何処で作ったのかと言われるような具合だから、山田が付けた単価は値引をしないで、支払うようにと船長や機関長が言っているので、値切るような事はしないよと船主から言われた。 集金は山田が来るようにと指名される。 上得意のお客だから、社長も山田、集金に行けと言われるようになった。 単価は社長がこんなに高く付けたら値切られるのではないかと言うほど、高くしてあるが少しも値切られる事もなく、請求書通りに小切手を貰ってくるので、社長から信頼されるようになった。 ある日、社長と事務所で二人きりの時に機械の修理ばかりでは面白くない。 なんとか武田鉄工所として、新しい機械を売り出そうではありませんかと話すと、社長は売れるだろうかと言われるので、山田が売ってみせますと言うと、社長は大丈夫か山田? 売りますと言うと少し日が経って、山田、新しい機械を造る事にして、日本から技師を呼ぶ事にした。 機械を売ってくれるように話があった。それから、各船主に集金に行き、武田鉄工所の機械を買ってくれるように話す。 すると、何処の船主も大丈夫かと言われるので、大丈夫と返事するが、なかなか良い返事が貰えないので、しまいには、もう山田はお客さんの船の機械の修理は出来ません。 武田の機械を買って下さらない船は断りですと帰るが、後から電話で船長や機関長に話したら、山田が夜中の一時だろうが二時だろうが、修理をしてくれるから漁を休まずに商売が出来る。 一隻船が休めば残りの一隻も休まねばならん。 二隻が一日休むと人件費と魚の売り上げの減少で多大な損害だ。 山田が責任を持つと言うのなら、山田を信じて武田鉄工所の機械を買う事に決めたと沢山の船主から話がきた。 初めて新しい機械を工場で試運転をして船に据え付けて乗り出した時は、社長も山田、武田鉄工所で造った機械で船が動いたと、とても喜んだ社長の顔を今も思い出す。それからは何事も山田、山田と可愛がられた。