4.麻田藩青木家譜
屋代島以前の青木家のルーツは麻田藩の青木民部少輔一重(寛永五年八月九日卒七十八歳)の流れが分かりやすい。
【麻田藩青木家譜(東大)】
宣化天皇(467~539)
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上植葉皇子(或作加美恵波)
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十市王
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多治比古王(賜姓多治比)(624~701)
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家廣(左大臣正二位・公卿補任作嶋真人)
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廣成(正二位式部卿中納言・天平五年為遣唐大使)
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貞成(従四位木ユ頭)
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貞峯(正四位左中辨・改多治比真人公卿補任元以貞峯為貞為成弟)
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家隆(仁和中補大納言摂津守改藤善)
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家綱(従二位左近衛大将)
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頼景(正二位大納言紀伊守)
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家景
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家義(従三位宮内卿)
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家信(宮内太郎又云犬山師)
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武信(下関東食秩父郡加味郡云)
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峯信
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峯時
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峯房
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武綱(朝廷領武蔵石秩父郡・俗号七丹黨云)
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武峯(四郎冠首後武経)
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経房(安保三郎太夫)
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元房(黒丹五)
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青木武蔵守直兼(青木家祖)⇒屋代島青木家は息子の直時の流れとなります。
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青木武蔵守實直(丹五・實・基房弟四男也)
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青木左衛門尉實村(或・武兵衛尉)
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青木兵衛尉實時
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青木實季
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青木新左衛門重實(自家隆至重重二十二世一家所傳舊記
実録無所考今併記以俟後識者而巳)
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青木加賀右衛門重直(貞勝)慶長十八年十一月廿一日卒86歳
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青木民部少輔一重(寛永五年八月九日卒七十八歳)
以下略
ただ、屋代島青木家と共通なのは青木武蔵守直兼(青木家祖)であり、これ以降は分家となり流れが変わります。
青木武蔵守直兼以降は
直時(五郎) 直時(五郎)
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實員 直定(七郎)
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頼直 直房(弥七郎)
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親直 直能(弥四郎)⇒大河内修理亮家継 ⇒初代青木和泉守元行・治部極(丞)
上記二流のどちらかと思われますが、史料が足りません。
屋代島の青木家は明治五年の壬申戸籍編纂時に復姓ではなく新姓として青木と届け出た家以外はほぼ上記の一族が繁茂したものと思われます。