1.周防大島の青木家
私は年の半分は関東、残りを周防大島で過ごしています。
関東では農作業もできないので体力維持の為、スミミングスクールで毎日泳いでいます。 大島で買った車で移動していますので、関東では目立つ「山口No」です。
ある日スイミングで、ある御婦人が車の山口に気づき「あんたあ、山口県の人かね?山口のどこね?」と云う。
当方答えて曰く、「周防大島よ。あんたは?」
「ほうかね、私も周防大島の安下庄よ。青木ちゅうんじゃが知っちょる?」
当方答えて、「安下庄の古い青木なら医者で有名な青木家の一族じゃろう?」
青木氏答えて「わたしゃ、よう分からんのよ、えろうないけ、百姓と思うよ。」とのこと。
この他愛のない会話が気になり、周防大島の旧家「青木家」を見直してみることにしました。 周防大島の青木家は郷土史家なら知らないものはいない旧家ですね。
明治時代はシーボルトに師事し天然痘の大家であり、毛利の殿様の侍医、また弟は明治天皇の大典医となり、子爵として華族に列せられた名門ともなります。
最近の話題では、ペルーの日本大使館が現地の反政府勢力に占拠され、パーティーに来ていた多くの日本人が人質になり長期にわたり硬直状態になりました。時のペルー大統領で熊本県出身末裔のフジモリ氏は地下道を掘り進め、日本大使館へ突入し多くの人質を解放したことは覚えている人も多いでしょう。 この時のパーティ(確か天皇誕生日)のホスト役の大使が青木盛久氏で、この人は周防大島町和田分家の青木一族の後裔となります。
屋代の「ハワイ移民資料館」に南米移民のコーナーが増設されましたが、大島出身の彼についての言及がないのが残念です。木元館長、配慮願います。
屋代島の青木家は旧家なので、記録も結構多い。
歴史的価値が強いのは、萩藩「地下上申」同、「風土注進案」同、「萩藩閥閲録・同譜録、」同「給禄帳」などですね。これらをベースとした「東和町誌」「橘町史」や宮本常一先生の「緒方・青木一族」に見られます。
これらを資料とし、青木家末裔の濱崎一子氏の著書「田之浦の里(青木家物語)」があります。濱崎氏も長年に亘り資料を集め、自家伝来の「青木家系図」との補強作品にしています。惜しむらくは「萩藩閥閲録」を見ていないのか同記録の引用がありません。
青木家は多治比王を元祖としますので、資料価値の高い「東京大学史料編纂所」の関係記録も無視できません。
ここでは「青木物語」をベースに話を進めましょう。