東京かむろ会の写真みました。
顔見知りの方が、老顔になられたのが印象に残りました。
平成の初めころは、会場一杯の参加者でしたが、年々老齢化して減少しました。
歴代の幹事の努力で、毎年開催されてきました。
正共さんが会長になって「ホームページ」が開設され、一層充実しました。
「ホームページ」を見ていろいろ「かむろ」の事を知りました。
昭和21~22年は、海外からの引揚げ者多くいました。
お正月、お盆、お宮の秋祭り、青年団の芝居など島中活気がありました。
大島大橋が架かる前、終戦後は「柳井港」から「防予汽船」の外浦周りで「安下庄」「外入」など数か所寄港して沖家室の沖に着き、大きな伝馬船で迎えて貰っていました。
沖家室大橋が架かってから、道路が整備され車で帰郷出来るようになりましたが、人口が減少して小、中学校も廃校になり、淋しくなりました。
しかし、各地の「かむろ会」の皆さん、「自分のふるさとは沖家室だ」と思っておられると思います。
「ホームページ」の維持、管理大変だと思いますが、今後もよろしくお願いします。