沖家室島に伝わる手打ち釣り針「かむろ鈎」
沖家室に伝わる手打ちの釣り針。家室鈎(かむろばり)と言います。古くは徳島県の阿波堂の浦から一本釣り漁法が伝わり、明治から昭和初めまで瀬戸内を代表する釣漁の島として発展します。
藩制時代、安下庄は藩の直轄地(御立浦)で特権漁業(イワシ網)が認められましたが、沖家室は端浦(はうら)で網漁は認められていませんでした。そして一本釣りに乗り出した結果、御立浦をしのぐほどに発展していきます。
それを支えたひとつが沖家室オリジナルの釣り針でした。これは明治時代に土佐と播州から技術が伝わったものですが、そのふたつの利点を組み合わせたものだと言われています。そのあたりの歴史的な経過も触れられればと思っています。
現在は、釣り針を生業とする製造業は無くなりましたが、市販の釣り針「かむろ針」は様々なメーカーから売られています。これは明治時代に柳原隆一さんという人のヤマヤという登録商標のものです。
戦後に入ると、ウチの父のように漁師自らが手作りの釣り針をつくる人も現れました。その現場の意見が専業の職人の技にも取り入れて改良されていったようです。
釣り針の型で有名な尼型や伊勢尼型。その由来は不明とされていますが、その謎ときにも挑みたいと思っています。
【写真は父・春久手製の鯛釣り二本鈎】
松本昭司