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ルーツ研究

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勝山 真人

京都市


沖家室島はルーツ

生け簀業創始者のひとり・四代彦七(2)

勝山 真人 2019年06月06日 投稿

 生け簀業創業者のひとりである沖家室友澤家の四代彦七(〜1766)は、享保6年(1721年)には既に生け簀業を始めていたものと思われます。事業を始めるくらいですから、当時既に20歳代か30歳代であったと予想されます。つまり四代彦七は1700年以前に生まれていたと考えられます。

 

 沖家室友澤家の当主格の人物については、二代目の惣兵衛の息子が三代目の彦右衛門であることは確定しています。しかし彦右衛門の息子が四代彦七であるかどうかは判然としません。四代彦七母(〜1742)の戒名には實相院という院号が付いていますが、彦右衛門の戒名には院号が付いていないのが気になるのです。


 私は四代彦七は初代惣右衛門徳昭(〜1695、享年73)の晩年の子ではないかとの考えに至りました。詳細は割愛しますが、初代惣右衛門徳昭には大幸院という院号が追贈されています。四代彦七母(實相院)が初代惣右衛門徳昭(大幸院)の若い第三夫人であったと考えればつじつまが合うのです。


 また石嵜系譜(沖家室石﨑家の家系図)によりますと、初代惣右衛門徳昭の弟である石﨑三良右衛門政家(〜1723)の長女(〜1726)の娘が「友沢次郎左衛門妻」です。次郎左衛門に相当するのは年代的に四代彦七しかいません。


 もうひとつ、友澤家系図略伝(三田尻友澤本家の家系図)に記載されている初代惣右衛門徳昭の三男・庄三郎が四代彦七のことではないかと考えました。石﨑総系譜(1985年頃、石﨑氏・友澤氏の子孫が編集した家系図)で、庄三郎が浮島石﨑家の祖であり、子孫が姓を石﨑に復したとされたのは、宮本常一先生の「瀬戸内海の研究」に記載された説を採用したためであり、元々浮島石﨑家の系図や過去帳に庄三郎のことが記載されていたのではないようです。

    

 四代彦七が初代惣右衛門徳昭の三男であり、血縁上では甥に当たる彦右衛門の後を四代目として継いだのではないか、というのが私の推論です。系図が残されておらず、生年や享年が不明な先祖の血縁関係を確定するのは困難で、古い資料が残っているということは本当に素晴らしいことだと思います。

   

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