okikamuro island fan club, 沖家室島ファンクラブ|Kamuro party かむろ会

ルーツ研究

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勝山 真人

京都市


沖家室島はルーツ

沖家室友澤家につきまして(第一弾)

友澤家の開祖・惣右衛門徳昭

勝山 真人 2017年6月25日 投稿

 私の母方の祖父・友澤政二は、江戸時代後期に庄屋を務めた沖家室友澤家(友澤彦七家)の十代目・伊助の次男でした。曽祖父・伊助は長男が誕生する明治34年頃に沖家室から神戸に出てきたようです。
 昭和60年前後に友澤と同族の石﨑氏一族が集まって作成された「石﨑総系譜」という資料集が存在し、その作成に祖父・政二も参画しておりました。
 その資料集や東和町誌から、また私自身が泊清寺や山口県文書館を訪れて判明した先祖のことにつきまして、その一部を数回に分けて投稿させていただきたいと思います。

 

 友澤開基・惣右衛門徳昭は、沖家室二代庄屋・石崎勘左衛門宗政の長男であり、最初は惣兵衛と言いました。三田尻友澤本家(萩友澤)の「友澤家系図略伝」、また「友澤惣右衛門貞昭家譜録」によりますと、正保2年(1645年)に萩藩毛利家に無給通・舩窮役として取り立てられた際、友澤惣右衛門と改名したようです。寛文7年(1667年)には御蔵元付という役職に就いています。

 

 過去帳によりますと寛文8年(1695年)12月10日に享年73で亡くなっていることから、1623年生まれであることがわかります。戒名を大幸院慶誉浄安居士と言います。

 

 私は平成27年8月18日、初めて沖家室島を訪れました。新山玄雄住職によりますと、大事にするようにと先代住職から言いつかったという友澤家の墓石があるとのことで、泊清寺内墓地の一画をご案内いただきました。墓地の整備に伴い移設されてはいるそうですが、斜面のかなり高いところに四基の古い墓石があり、中央の灯籠の左側が明らかに慶誉浄安居士、すなわち友澤開基・惣右衛門徳昭のものでした。大幸院の院号はなく、後に追贈されたものと考えられます(写真)。

 

 後述しますが、沖家室友澤家の墓地は観音堂墓地の最も高いところにあり、墓石は四代目当主の母以降のものしか存在しません。親族の誰もがその存在を知らなかった友澤開基・惣右衛門徳昭の墓にお参りできたことに、私は大きな感動を覚えました。


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泊清寺内墓地の友澤家墓石群(中央の灯籠を挟んだ四基)

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友澤開基・惣右衛門徳昭の墓石(慶誉浄安居士)


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