私の曾祖父、青木菊松は官約移民で1891年5月29日に蒸気船「山城丸」に乗船しハワイに来ました。 曾祖母、浜田トメはサトウキビ畑の労働契約で1896年10月30日にハワイに移住しました。
青木菊松の日本での最後の住所は大字沖家室島54で、 浜田トメの日本での最後の住所は大島佐連でした。
青木菊松とトメはハワイ島で出会い、3人の子供を授かります。 二人はラハイナに引っ越した後、菊松は小さなホテルを経営しました。ホテルは戦争中に火事で燃え落ちましたが再建するには高価すぎました。
大島出身の数百人が日本の何処から来たのかを記録をした「本島人名録」と云う本があります、それによると青木菊松の仕事は「宿屋業」つまりホテルビジネスでした。
4番目の子供が生まれてから7年後青木トメは48歳で亡くなっています。青木菊松は84歳まで生きました。
2006年3月に私と家族は先祖の墓所を探す為に日本旅行をしました。新山住職に会うことができ、泊清寺の墓所で高祖父の青木忠次郎の墓石を見付けることができました。同じく高祖父、浜田佐七の墓石も佐連で見つける事ができました。佐連は周防大島と沖家室島を結ぶ橋の入り口にあります。
アラン S 青木 大島沖家室島4世