近所の、高齢者を対象にした市立の老人福祉施設には、50を超える趣味のサークルがある。それぞれ月2回、一回あたり2時間程度活動している。どれもみな賑やかで、高齢者の活力増進に大いに役立っている。そのサークルの一つに、家内も所属しているコーラスのグループがある。
数カ月前のことだった。次回から、その活動のためにわが家の木魚(もくぎょ)を持っていくという。なんでも、練習曲に「証誠寺(しょうじょうじ)の狸囃子」が取り上げられることになり、その楽器として使用するためだという。メンバーの中に、家に木魚があるのはわが家だけなのだそうだ。ご先祖様に叱られるかもしれないが、“大切にしなさいよ”といって利用をしぶしぶOKした。
なぜみんなの家にはないのだろう。考えてみたら、実家にはあるが自分たちの住まいには置いていないということが多いのかもしれない。わが家も、実家を解体するときに仏壇と一緒にもってきた経緯がある。そういえば、もってきたからといって、それをたたきながらお経を唱えたことは一度もない。第一、唱えようにもそのお経を知らないのだから・・。
そんなわけで、この項では木魚についてまとめてみることにした。その木魚は仏具の一つで、お経のリズムを整えるために考案されたいわば楽器である。江戸初期に中国から入ってきたといわれている。クスノキなどの木材を自然乾燥させ、丸い形に整形してその内部を空洞に刳りぬき、さらにスリットを入れて音がよく響くようにしてある。外装には魚の鱗のような模様が彫り込まれている。
その鱗模様には、目を閉じて眠ることのない魚のように、修行僧は常に怠けることなく修行に励めという意味が込められているそうだ。禅寺の廊下に、時を知らせるための魚の形をした漁板とよばれる板が吊り下げられているが、あれが原形といわれている。木魚は仏具ではあるが、使われているのは天台宗、浄土宗、真言宗、あるいは曹洞宗などで、浄土真宗などでは縁がないそうだ。
仏様に大勢でお参りするときなど、これで拍子を取ると確かに読経はよく揃う。そういえば、子供のころの記憶では、村の青年団が編成した楽団には、ドラムの脇に木魚が置かれ、調子のいいリズムを響かせていた。別名、テンプル・ブロックとかスリット・ドラムなどと呼ばれ親しまれているのも納得がいく。
あのポクポクという柔らかい音は、聞く人の気持ちを軽やかにしてくれる。たしかに、仏具に使うだけではもったいない。もちろん、ご先祖様に失礼のないよう、十分気をつけなければならないが、音楽活動にはうってつけの打楽器である。ご先祖様だって、もうすぐ近くにやってくるはずの高齢者が、“ショショッ、ショジョジ”と元気に頑張っている姿にはむしろ好感をもってくれるはずである。
(2023年10月7日 藤原吉弘)