東京駅東側の八重洲を8年ぶりに訪れた。コロナで途絶えている高校の同窓会を、今秋、京橋のエドグランビルで開くことになった。その下打ち合わせを八重洲口から10分の同じ場所で行いたいということだったのだ。この辺りは、社会人になった最初の10年間を過ごした所である。青春の舞台となったこの八重洲と隣接の京橋地区こそ、わが人生の一番思い出深い場所である。
入社当時、大丸を抜けて八重洲南口に出ると、正面に住友生命ビルがあった。その右隣には喫茶店があり、その間の路地を入るとすぐ右側に三階建ての我が社があった。そこは、後に区画整理の対象となり、跡地には住友信託銀行のビルが建った。入社当時広大な空き地だった南隣には、まもなく新光証券のビルが建ち今も残っている。数寄屋橋交差点に続く前の広い通りに面しては、その隣は鹿島建設、後の八重洲ブックセンター、さらにホンダのビルと並んでいた。
いま、この一帯は再開発によって大変貌を遂げている。通い慣れた八重洲南口を出ると、正面には45階建て・240mの東京ミッドタウン八重洲が、ヤンマーの新築ビルを従えて空高くそびえている。あの、生命保険会社ビルの両脇にあった路地はもとより、その裏手にあったはずの城東小学校まで呑み込んだ「八重洲二丁目1地区」と呼ばれる巨大再開発プロジェクトの完成直前の雄姿である。
八重洲地区の再開発は、東京駅の東側を抜本的に作り直す壮大なプロジェクトである。北から、「常盤橋地区」の常盤橋タワーと63階建て・390mのトーチタワー、「八重洲一丁目北地区」の38階建て・212mのビル、「八重洲一丁目6地区」の54階建て・250mのビル、そして「八重洲二丁目中地区」の43階建て・226mのビルが東京ミッドタウン八重洲の南隣に控えている。
実は、先日訪れたエドグランビルも再開発で生まれた巨大ビルだった。会合の案内をもらったとき、そんなビルの名前に記憶はなかったが、地図を見ると明治屋のあたりだった。実際に訪れてみると、有形文化財であるあのビルを生かしながら、路地を含む周辺一帯がまとめて再開発されていた。明治屋の南側にあった地下鉄入口につながる通りはビルの中の歩行者通路へと生まれ変わっていた。
私の古い概念では、再開発といえば道路は新設したり拡幅したりするもので、つぶしてしまうという考えはみじんもなかった。都市の再開発は、基本的な考え方から整理し直さないと成功はおぼつかないのかもしれない。
それにしても、日本は長い低迷期に入ったまま抜け出すきっかけさえ掴めていない。新しい概念とそれに立脚した新しい手法で、世界の二流半にまで落ちぶれた経済力を再開発してほしいものだ。そして、我が青春のふるさとである八重洲が、この再開発によって再び魅力ある街に生まれ変わることを期待したい。
(2022年7月5日 藤原吉弘)