リビングルームの時計が止まっていた。これはわが家のメインの部屋に掛けるものだからと、12年前に“福沢諭吉さん”を2枚も出して購入したものだ。十二角形の木枠で飾られた、クラシックなデザインの電波時計である。おそらく電池切れだろうと思い、それを交換してやった。購入以来、電池交換は2回目、その省エネぶりと、電池の長寿ぶりにはあらためて感心させられた。
電波時計は、電池を交換すると、時刻を合わせるまでにかなりの時間がかかる。今回も、電波塔のある福島県に向けて、窓際に一晩置いてやった。翌朝確認してみると、時計は動いているが時刻はまったく合っていなかった。取説に従って強制的に合わせようとしたが、何度試してみてもうまくいかなかった。
仕方なくメーカーに電話し、試行錯誤の様子を詳細に伝えて対応方法を教えてもらった。しかし、それも結局はうまくいかなかった。再度メーカーに電話し てみた。「どうやら故障のようですね。販売店にお持ちいただき修理を頼んでください」という返答が返ってきた。
すぐ、それを買った大型スーパーの売り場に持ち込んだ。時計は1階のテナントコーナーに移っていた。なんでも、時計は専門業者に任せることにしたという。その店で見てもらうと、修理完了までに約1ヵ月半、費用は1万円以上になる、それも実際にはやってみないとわからないということだった。スーパーとその専門店の素っ気ない態度に、怒りを通り越してあきれかえってしまった。
止まった時計を引き取り、そのまま帰途についた。新しいものを買うにしても、あの店で選ぶ気にはなれなかった。途中、よく利用するDIY店に立寄ってみた。壁掛け時計もたくさん並べられていた。しかし、あの十二角形のものは一つもなく、木枠は八角形と円形だけだった。「あれでもいいか!」。結局、八角形の木枠の電波時計を購入した。出費は、“樋口一葉さん”1枚で済んだ。
翌朝、新しいアイドルが順調に動いているのが確認できた。リビングルームによくマッチしていた。その日は、折良く粗大ゴミ収集の日だった。壊れた時計に未練を残しても仕方がないと、古い方は収集車に持っていってもらった。
数日後、「やっぱり、前の方がずっとよかったなあ」とつぶやきながら、未練たらしくネットで通信販売を検索してみた。たくさんの商品が次々と画面に浮かび上がってくる。しかし、八角形はたくさんあるが十二角形のものはまったく見当たらなかった。その一方、ネットにはムーブメントだけというものもたくさん展示されていた。送料込みで、“野口英世さん”2枚程度だった。
「そうか、あの十二角形に合うムーブメントを取り寄せ、その部分だけ自分で取り替えればよかったのだ」。“後の祭り”という事例など、身辺どこにでもころがっているようだ。
(2020年8月26日 藤原吉弘)