島の崖っぷち下は段々畠、その下は海に面して人家密集、狭い道路 人通りが絶えない。
畠も海辺も人であふれていた 子供たちの叫び声が聞こえてくる
大正昭和初期、かむろ千軒、かむろ町の呼び名は遠く
地方都市まで及んで誰知らぬ者はない
出舟、入舟波止場は漁舩で満杯。
漁場センガイ沖の夜釣りの海
釣り船の終結さながら銀座の夜
モーター舟に移行する前は小舟を数珠繋ぎで大型船で漁場へ・・・・。
早朝の帰りは真鍮ラッパによって合図された。
帰島した舟々海辺での カーバイトガスの燃えかすの処理で付近の海は白く濁る。
島、は山であり海である。
すさき、すばな から本浦 魔山までの山頂はガンゼキで掃き清められている。
松葉一本もない。
焚火燃料・・・この常態は戦後まで続いた。
島の情報伝達は口から口へ速い
「生まれた」「死んだ」はもとよりすべて詳細(くわしい)である。
敵か味方か 「イエス」か「ノー」か?
西欧、アメリカ人にも通じやすい、
「ああ今日も死んだか」洲崎から本浦泊清寺境内まで
葬列は続く鐘を打ち鳴らしてから・・・
火葬場から今日も人体の
焼く臭いが・・・・。
風に乗ってたなびいてくる!!