東京かむろ会2011年の今年は61回が川崎の駅ビルホールで約30名参加した。参加者は会員、その家族、ゲスト他である東京、千葉、埼玉、神奈川各県に居住の方々である。
6月が選ばれたのは、いろいろな行事が少ないので参加しやすい月として6月に決められたと先輩より聞いたように記憶する。
かむろ会のおいたちは、昭和19年戦時中に1回の東京かむろ会が18名の参加者で発会された。故 中田定雄氏、故 柳原好助氏、故 金井孝雄氏、故 柳原親孝氏、現 山田重利名誉会長の方々のご苦労されて結成に漕ぎ着けられた。
終戦前後の混乱期は中止のやむなきに、昭和27年やっと2回がもたれた。以降、口こみで伝わり広がり回を重ねるごと参加者が増えていく。当時を知る人が少なく記録がない。
繁栄期、昭和50~60年代、故 金井会長, 故 柳原親孝事務局長であった。
30回以降頃から40名~60名の参加者が毎回安定した経過を辿る。
新山住職には、公私ご多忙の中を調整されてかむろ会には毎回遠路をいとわず参加されて郷里の話題を話され個々の相談にも応じられる。
ゲストは東和町人会会長、関西、広島、宇部の各かむろ会の紹介や祝辞を頂戴する。
親睦会になり宴も酣となれば、くどき、盆踊りと、時には「いのこ」が繰り出す賑わいと盛り上がる。
かむろ会が途切れず継続されているのは何と云っても会員の郷土愛に私はつきると思う。 その支えが会長はじめ役員の方々を動かし、会員はそのご苦労を察して協力を惜しまない土壌や気風がある。
山田名誉会長は東京かむろ会と云う種を蒔き水をやり雑草を抜き肥料を入れ風雨に負けず、育成に努め61年の年輪をもつ大木に成長させた。「会員はみな親戚」と云う。
山田さんは御年96歳ご高齢で尊敬の念と感謝の気持ちを捧げます。
(2011年7月26日 井上 巌)