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入丸 弘

大阪、関西かむろ会


エッセー

おさなき頃の思い出。故人に想いを巡らせて?

石丸 弘  投稿日2024/10/04


 いつの間にか72歳を迎える、これ迄にいく人かの同級生が故人になった。

 何処で、何としているかも、解からない者も何人かいる。


 時は過ぎて、>


 小学生から中学に入ると、佐連からの生徒も家室の中学に通い。瀬戸丸で通い始めて仲間も増えた、といっても12人(男6,女6)、家室の友人合わせて32名が1クラスで入学当時は1,2,3年各1クラスの少人数でした。


 昭和40年代の人口流出も半ば、それから急激に加速していきます。


 小学校に入った年に校舎が真新しくなり(昭和33年新小学校校舎開口)、中学校は昭和41年に(森、和田,沖家室)3校が合併されて東和中学校に移管。我々同級生は最後の生徒として、沖家室中学校舎で3年生を終えたが、卒業式は東和中学校の体育館で行われる。なじみがなくて、今も記憶にない。


 

 確か東和中学の卒業生第1号であった記憶しかない、出席番号常に1番。昭和42年卒業だが東和中学卒業だ。(東和中学校には通っていないのに?)、ゆえに沖家室中学は生徒にいない中学として昭和42年3月を以って寂れていく。


 最後の卒業生は新山和尚の卒業した昭和41年3月卒業生が最後の生徒になる。我々の42年組は何とも中途半端である、気持ちは沖家室中学卒業(通ったことのない東和中学校卒業なんで???)


 校歌も最後まで沖家室中学の校歌

 瀬戸の波よする伊予灘の、、、、


 それしか謡ったことはない、東和中学校の校歌なんかシラン、家室から行き方さえワカラン?。ある場所さえ知らん。


 書いてるとなんか腹が立ってきた。



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