okikamuro island fan club, 沖家室島ファンクラブ|Kamuro party かむろ会

入丸 弘

大阪、関西かむろ会


エッセー

洲崎の観音様の歴史?(沖家室シーサイドキャンプ場へ)

石丸 弘  投稿日2024/07/16


 洲崎の観音様について歴史、いつ、誰が、何故、等々詳しく知る人がいませんか?


 関西かむろ会が7日に開催されて賑やかに幕を閉じました。沖家室島から、広島、東京各方面から関西かむろ会に馳せ参じて懐かしい顔を拝見できました。


 12日から子供家族総勢10人で新しく出来たキャンプ場を目指して大阪を立ちました、     金曜日です孫の学校から帰宅すると直ぐに出発、一路東広島駅前のホテルを目指して?同級生の苅山君が、東広島に住んでいます。刈山丁(薬局前に住んでいた長男)、急な事で会えるか心配していたがアイニクすれ違い、彼は大阪に人生すれ違いとはこのような事か?


 キャンプ場は受付午後の3時からそれまでは入場できない。ゆっくり目で東広島を出発、山口方面はどうやら雨、滞在する15日まで雨が降らなければよいが思いつつ恨めしく雲行きを見るも的中しそうな空。。。。


 東和町、道の駅にて海鮮ドンブリを昼食して、小雨(霧雨)の中、方添えを回って家室大橋を渡る。


 雨も止んで洲崎にある岡城の元家が建っていた前を(家室のメインロード)を通過して、先祖の墓参り。午後の時間は昼寝をしているのか、誰1人見かけない。猫が3匹迎えてくれる。我が家の墓は古くからある墓地のほうで昔ながらの墓地の中央部に位置している、コロナの直前に墓参りをして彼此5年当時墓地の中央部に生えていた小さな木が小道を挟んだ裏の墓を盛り上げ幹に取り込もうとしている。大木に成長していた、もう10年も過ぎると密集するお墓を掘り起こして終うのであろうか?


 一時的に雨も止んで線香に火も最後まで灯りそう。10人が線香を立てると線香立てはいっぱいで1人1ポンで満杯である。


 周りを少しだけキレイにして造花を少しだけ生けて、手を合わせてお参り終了。雨に濡れた参道は落ち葉もあり危ない、恐る恐る観音様まで下る。そこで目にした物は、入り口の扉が開かない事、重い扉を抱て上に上げようやく両扉を半分開けて中に入る。中は真暗闇の世界、携帯のライトを照らすと格子の向こうに金色に輝く仏像が睨む。金箔を張り替えて開眼法要したらしい、既に80年から90年前リッパな仏像である。


 大正生まれの母が小さい頃開眼法要したらしい。格子の前には木魚が1つ、孫が珍しくてポコポコと鳴らし拝んでいた。観音様の建屋も垂木が1本落ちていたり、屋根はツタに半分覆われて管理の難しさを痛感させられた。


 いつの間にか住人も70名ほどになり、80歳を超える人が消防団をやっているそうだ。友人の実家の雨漏りも見てほしいと7日の家室会で約束して、通りすがりに寄って雨漏りと屋根の写真を撮る。何年前か解らないが台風の時に瓦が飛んだようである、小学校に行くと何やら貴婦人が3人いる。


 (子供には寄り道が多くて置いてきぼり、心配して下の娘が見張っていてくれる)早速声を掛けるが誰か解らない、姉の名前を出して漸く何者か判った。(娘が理解不能と呟く?)


 暫らく雑談し、お宮のヒロコ姉妹が居るか聞くと、この時間だと1階にいるだろうと。声を掛けると奥の院から妹さんが出てきた、妹さんは美しく年を召されていた家室の住人は肌がピカピカ。


 大工の山本さんが仕事をしていた、家室の人か大島町の人で屋根を修理したり出来るか尋ねたが、いないそうだ。白木産業が唯一町内で頼むことが出来るようだが、家の解体やらで、忙しくて何時になるやら?


 そんなこんなで、キャンプ場に着くとテントは張られていた。(合計10サイトが張れる) 寄り道が多くて家内が葬式帰れなかった家に挨拶に行くと、怒られる。 キャンプ場からまた引き返し、酒を飲んでいるので歩きだ。


 柳原の五十六おじさんに線香を立て、浜田のおじさんに線香を揚げ(幸い息子さんが2週間程いて)アジを捌いてくれた10人で貪り食う家室の魚は活きている。 翌日には大きなサバを焼いたり、煮つけに追加差し入れしてもらう。 挙句の果てに千葉から帰て2年の叶井造船所の妹さんから焼きたてのパンの差し入れ、1日目の美味しいアジのタタキや刺身、2日目サバのデイナーに焼きたてのパン10人大喜び。


 失敗は美味いパンの後に市販のパンが不味かったこと???あまりにも美味しそうで先に食べてしまった。 15日の朝食に回す迄待てなかった!


 13日には5張が14日には4張になる、我が家のテントが2張、満杯であったがキャンセルが出て寂しい。 15日には朝早くから他はテントをタタミ取り残されたよう。


 雨も土砂降り結果雨降りのキャンプ暮らしを沖家室島キャンプ場で過ごした3日間でした。 海にも浸かることが出来ず、魚釣りも傘をさしてしかし、今回はいろんな方に会えることが出来ました。 雨降りならではの沖家室を私だけ満喫。


 他の家族は娘の家族、息子の家族、家内はせっかくの沖家室を満喫できなかったようです。 ちなみにキャンプ場は町の投資だとか?村としての整備が期待されることでしょう。 何もないところですが、追加投資として遊歩道や裏磯で遊ぶ(長瀬の浜、一本松の浜) 白木さんの散策、魔山への登山我々が幼き子の時代に遊んだことは、巷が求めています。 お寺の散策(歴史散策)お宮の歴史散策(脊柱にある文字は家室の歴史)等が出来ると、また数日に及ぶキャンプ場利用が楽しめることでしょう。


 島中の散策道を設けることが長期にわたる利用増加と維持管理で雇用が生まれる。訪問する人が増えることはそれなりに沖家室の賑やかさに貢献することは間違いない。わずらわしさを超えた先には、末裔が賓緒に訪れてくれることでしょう。


 沖家室の歴史は繰り替えされます、敗退と繁栄の歴史です。 山の上からは、九州、四国、数々の島、風光明媚、満点の星空。 灯台局を再整備してその歴史を展示など、帆掛け船での体験遠洋漁業の歴史、伝馬船の魯漕ぎ等、先人が生活した歴史とその時代の実体験が出来る沖家室島充分話題になること、請け合いです。


 日々の暮らしも思うように行きません、年を追うごとに体も悲鳴を上げています。 夢を追うと希望があふれ若返ります、体の痛みも夢の目的にいつの間にか忘れ去る日が来ます。


 他人任せで無責任な者ですが、沖家室人の繋がりが心に刺さる3日間でした。


 



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