私は昭和二十年沖家室小学校を卒業、以来皆それぞれの道を求めて万感の想いをいだきながら防予汽船のドラの音を聞きながら、かすみゆく緑の島をいでしより六十六年・・・・・
見上げれば白木山、見渡せば波しずかなる周防灘、いつでもいつまでもふる里はすばらしい所です。
盆おどりも洲崎、本浦と朝までおどり明かした事が夢の様です・・・・・。
峰松が枯れ果てて畑がやぶに成り、ミカンが松が・・・と思って居りましたが昭和五十八年、夢にまで見た沖家室大橋が完成、これで盆おどりも昔の様に島が沈む様ににぎやかに成る事と思いましたがだんだんと年を重ねる度に、さびれて行くばかりです。
音頭とる人、くどく人、太鼓をたたく人、おどる人、毎年毎年さびれて行くばかりです。
宇部かむろ会、広島、大阪、東京かむろ会の方々で是非とも年に一度のお盆には先祖の霊をなぐさめに、くれなづむ島に灯りをともしに帰島して戴き、共におどり明かして戴きたいと想います。
(2011年7月26日 中山 章)