現在の沖家室、今も残る家室の文化、消えてしまった文化、今わかる限りの多くの文化情報を残したい。
宿がとれないと相談をうけ、ならウチへどうぞと東京からの参加者夫妻を迎えた。でも参加するのは夫だけで、奥さんは近場を散策して時間を過ごすという。
晩酌を一緒にしながら、なんと「忘れられた日本人、読みました。大往生の島も読みました。佐野眞一さんのファンです」と。
そういうことだったんだ。ウチへのアクセスは偶然ではなかったのだ。
夫さんは100キロコースを走るというので、早朝3時半ころに出た。
奥さんは、どこ行こうかと地図を片手に思案。問題は雨。本来なら沖家室島から会場の片添えが浜まで歩いて、その後はあちこちピクニック気分に浸りたいようだった。
「竜崎温泉に行きたいです」
「それなら送ってあげましょう」
朝ごはんを済ませて向かった。島の沿道にはランナーにエールを送る人たち。がんばって~と声をかけ、手を振る。いい光景だ。
でもスゴイ参加者の数。島の端の中継所へ向かう人、ターンする人で道の両側は狭い。ヒヤヒヤだった。
橋を渡り、佐連アワサンゴトンネルを過ぎると夫さんが走っていた。
「やあ、松本さんお世話になります」
「お疲れ様。乗っていきますか~」
「あ~~(ง `▽´)╯ハッハッハ!!」
ちょこっと観光案内も。夕日の丘展望台、アサギマダラ園、安政大地震津波の話、立岩の四合わせ祈願(祈岩)などなど。
「(夕日の丘)双眼鏡のぞいたけど見えない。やられたわ(;゚;ж;゚;)ブッ」
「ここ駐禁なんだそうです。カップルがチューしてたのを地元の人が見かけて提案しそうですよ。チュー禁」
「やだあ、おもしろーい٩( ᐖ )۶」
僕の車は地家室から農道へ上がったが、ランナーはそのまま海沿いの道を進んだ。
農道から外入(とのにゅう)の県道に入っても、ランナーが列を成していた。僕の車は竜崎温泉への道を進んだので、ランナーの皆さんとはそこでお別れ。皆さんはさらに周防大島一周してゴールを目指す。
※画像は、大会ホームページから拝借した。
--以下の写真は新山玄雄住職が投稿された周防大島マラニック100 沖家室島オートキャンプ場エイドステーションの画面です--