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ルーツ研究

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勝山 真人

京都市


沖家室島はルーツ

沖家室友澤家のキーパーソン・二代青木宗悦

勝山 真人 2018年12月15日 投稿

 友澤開基・惣右衛門徳昭の次男・惣兵衛の末子として生まれ、安下庄の医師・青木玄節の娘・オイワの婿養子となった二代宗悦ですが、オイワは嫡男の玄孝を産んで間もなく亡くなったようです(1722年没)。「青木氏系略(藩医青木本・末家系図)」によりますと、後妻ヲツ子(おつね)との間に二人の娘がいました。

 

 長女のヲマツは「外入野口源助先妻子二人金弥ヲシモ是也嗚呼此人世短命ナリ」とあります。この野口源助家は私の曽祖父・友澤伊助の生家です。そして六代彦七の妻(1779年生)は「野口源助女」です。ヲマツが短命だったのであれば、ヲシモが「野口源助女」である六代彦七の妻の可能性は極めて低いです。野口家の系図が手に入らない現状では確たる証拠はありませんが、金弥が次代の源助を襲名し、その娘が六代彦七の妻だったのではないかと思います。いずれにせよ、二代青木宗悦は野口源助家に友澤の血を伝えたことになります。

     

 次女のヲイリは「沖家室友沢佐平治妻」とあります。佐平治という名前については、沖家室友澤家過去帳に、宝暦3年(1753年)に亡くなった童女(佐平治子)の記載があります。年代から「佐平治」は四代彦七の子の世代ですが、「佐平治」に相当する戒名はありません。五代彦七は襲名前は四郎左衛門と名乗っていたのですが、それ以前に佐平治と名乗っていたのではないかと私は考えています。

 

 このように、二代青木宗悦は沖家室友澤家に血を戻し、さらに野口源助家を介して伊助と私たち子孫にまで血を伝えたと考えられる「沖家室友澤家のキーパーソン」であることがわかりました。




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