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藤原吉弘

藤原吉弘

前東和町町人会会長


エッセー

辻井伸行の世界

藤原吉弘                                     投稿日2019/02/25


tokyo cherry
 

 池袋の東京芸術劇場で辻井伸行のコンサートを聴いた。娘がプレゼントしてくれたものだ。2000席の会場は、中高年の女性で満員だった。聞くところによると、彼のコンサートは人気が高く、チケットは抽選が当たり前だそうだ。プログラムは、ドビッシーの「2つのアラベスク」と「映像第1集」、ラベルの「ソナチネ」、それにショパンの「スケルツオ」の3曲だった。

 

 あの、頭を大きく振る独特の演奏スタイルで、名曲を渾身の力を込めて熱演してくれた。全盲という大きなハンデは、むしろ彼独特の世界観を醸し出すことに大きなプラスとなっているようだ。女性に人気があるのも、チケットがなかなか手に入らないのも、この素晴らしい雰囲気がもたらすものであろう。アンコールでは、自身の作品も含めて3曲を披露し、演奏時間は2時間にも及んだ。

 

 彼の母親、フリーアナウンサーの辻井いつ子さんの著書によると、彼は生まれたとき小眼球症と診断された。出産の数日後、「生涯目がみえるようになることはない」と医師からいわれたそうだ。生後半年を過ぎたころ、ショパンの「英雄ポロネーズ」をかけていたら、足をばたばたさせて喜びを表現した。そのCDが消耗したので、別の奏者のものに買い換えたら不機嫌になったという。元のブーニンのものに買い直したら、また足をばたつかせて喜んだという。

 

 彼が2歳3カ月のクリスマスのとき、母がジングルベルを鼻歌で歌っていたら、それに合わせておもちゃのピアノを10本の指で弾きだしたそうだ。そんな才能を見込んで、母は彼を川上昌裕先生に師事させた。先生は、カセットテープに楽譜の情報を録音して彼に伝えた。5分の楽曲に数時間かかったそうだ。「耳で読む楽譜」は200本以上となり、「炎のレッスン」と呼ばれたそうだ。

 

 2009年6月、彼が20歳のとき「ヴァン・クライバー国際ピアノコンクール」で優勝して本格的に世に出た。実は、彼が17歳のとき、「ショパン国際ピアノコンクール」に挑戦している。相当自信があったようだが、このときは夢を実現することはできなかった。ヴァン・クライバーの優勝は、このときの苦い経験が活かされたともいえよう。以降、カーネギーホールやウィーン楽友協会大ホールなど、世界の檜舞台で活躍する名ピアニストに成長した。

 

 それにしても、あれだけ長い曲をよく覚えているものだ。彼のレパートリーが何曲あるか知らないが、耳で読む楽譜の数から推測しても、200曲は優に超えているはずだ。普通のポピュラーソングとちがって、1曲が数十分にも及ぶことから、延べ時間にしたら何十時間分にもなるのであろう。凡人の想像をはるかに超えた記憶力の持ち主なのだろう。と同時に、彼は血のにじむような努力で、持てる天賦の才を見事に開花させたピアノの奏者である。

 
 

(2019年2月25日 藤原吉弘)

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