okikamuro island fan club, 沖家室島ファンクラブ|Kamuro party かむろ会

山田重利

山田重利

  東京かむろ会名誉会長


私のかむろNo8 「母ハナの思い出」

私のかむろNo7 「農道を作るようになった訳」

私のかむろNo6 「「戦後家室での重利」

私のかむろNo5 「武田鉄工所時代」

私のかむろNo4 「爺さんの思い出」

私のかむろNo3 「石欅」

私のかむろNo2 「孤独」

私のかむろNo1 「生い立ち」

「流れ灌頂」

東京から故郷の沖家室のお墓詣り

泊清寺蝋燭立て・燭台顛末記

エッセー

お盆の後「流れ灌頂」を送る念仏を、もうそやの .........「ナガレカンチョウ」

山田重利                                             投稿日2011/03/27


流れ灌頂

 お盆に東和町沖家室に帰って、盆踊りを朝まで踊った頃は、若い青年団員が多く居た時代であった。 何時もは盆踊りが済むと後片付けをなさる人は、大変に苦労されるだろうと、気にしながら島を出る。
或る年、流れ灌頂「ナガレカンチョウ」を送った後の百万遍の数珠を繰る仲間に入れて貰った。 真ん中の中申仕とゆう人の念仏に合わせて周りの人も念仏を唱える。周りの一人は数珠の回数を数える人で、「数取り」と言ふ。 其れは大きい数珠の輪の中で特別に大きい球がある。 その球が数を取る人の前に廻って来ると別に横に並べて有る五十個の玉を一つづつ横に動かす、五十個の球が終わると、南無阿弥陀仏と書いた木札の一枚を中申仕さんの前に差し出す。 木札は七枚あり、七枚の札を出し終わったら、みんなで声を合わせて南無阿弥陀仏とお念仏を唱えて終わる。
その後で上の観音堂に入り、下の浜でやったような念仏を繰り返す。目を閉じて念仏を声に出しながら数珠を繰ると、亡きお婆さんの面影が思い浮かんでくる。 お婆さんもこのように念仏を唱えて数珠を繰っていた。 先祖も又其の先祖も遠い昔から、この百万遍の数珠をご先祖の供養と家内安全を願ってきた。念仏を唱えながら爺さんや父母を思い出し、涙が湧き出て止まらない。どうしてかわからない。
父も母も小学校に入る前には、この世には、いなかった。それでも爺さんと婆さんが父や母の愛情の分も合わせた以上に、可愛がってくれた。親も兄弟もなくても、先祖が守ってくれた。
 こんな清々しい心境に浸る事が出来る。素晴らしい事を先祖が残していた事を長い間見過ごして来た。今更乍ら恥しい。
この立派な文化遺産は、沖家室の盆踊りの「くどき」と共に、世界に誇る、大きな遺産だと思います。是非共、永く後世に伝え続けたい。
幸いにこの念仏講も、「(故)戎崎シゲさん」が「九十七歳」で亡くなる迄(平成十一年二月二十六日)多数の後継者を育てられて。 今も尚、盛んに続けられている事は、頼もしい限りです。尚、お観音様に登る石段や手すりの、修理は念仏講の人達で作ったとの事。
少しづづの寄付を何年も貯めた金で修理をし、修理の為の寄付は一円も集めないで完成した。 お寺の住職や、部落の世話人達が力副えをした事と思うが、何より念仏講の人達が先輩の偉業と意志を引き継がれて成し遂げる事が出来た。
何かと言えば寄付か、又は助成金をごます連中の多い世の中で、大いに見習いたいと思います。これを称賛し、後世の世までも伝えたいと思います。 現代は木札の数は須崎は七枚で本浦は五枚との事。昔は十枚あったと思われる。この作文は、続盆踊りの副題として作った。
山田重利
印刷1999年8月3日15時9分


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