okikamuro island fan club, 沖家室島ファンクラブ|Kamuro party かむろ会

八木正共

八木正共

東京かむろ会会長


八木アキヨ

「古谷長十郎 カナダの家系」記事ついて

グルメレポート「瀬付のかむろ鯛」

2011年関西かむろ会での直球質問

エッセー

2011年関西かむろ会での直球質問

八木正共                                             投稿日2011/07/13


7/3(日)に千葉ニュータウン中央駅発、朝7:04の電車に乗って大阪京阪ホテル天満橋の関西かむろ会に出席した。新幹線は定刻に新大阪に着いたが御堂筋線から京阪本線に乗り換えるのに手間取りぎりぎりで間に合った。50名以上の参加者の会場は活気に満ち、宴も半ばになると普通の声で話をすると周りの声にかき消されて聞こえ無くなるほどで、大きな声を張り上げて話していた私の喉は枯れて翌日までヒリヒリ痛かった。多くの人にご挨拶とかむろ会ホームページのエッセーを依頼した。 沖家室島文化を研究課題にしている天理大学の安井真奈美教授が挨拶した時も、周りの話声でよく聞き取れなかったが挨拶が終わろうとしたとき隣の席のAさん(名前は失念したが電気工事会社を経営されている方)がまさにかむろ会全員の長年の課題を質問した。 「どうしたら沖家室島が元の様に栄えますか?」 もちろん、誰もこの答を持ち合わせていない、安井教授がどのように答えたのか周りの声でかき消された。Aさんは再び、この直後、家室の話題を話された新山玄雄住職に同様の質問をした。 「先代の住職の時代は木工技術を普及させようと努力されていましたが、その後は如何ですか?」 まさに、剛速球の直球質問を連射した、多くのかむろ会出席者に困惑しながらも心に響いたと思う。 今のところ、この直球質問を打ち返す魔法のバットもバッターも見つからない。 お寺の住職さんが家室の若い人に木工技術を教育したというのは初めて聞いた、私の祖父は船大工で造船所を開いた、カナダに戦前移住した三男叔父さんも大工だったし、前東京かむろ会会長の中山章さんも大工さんだった。これは、お寺が主導して木工技術者を教育普及した効果なのかも知れない。 実は私も同類の質問を左隣の席にいた沖家室自治会長の叶井さんにしていた。 私   「沖家室の人口は今何人ぐらいですか?」 叶井さん「おそらく、170人ぐらいだろう」 私    「Uターン、Iターンなどで大体、底を着いたんでしょうかね?まだ減りますか?」 叶井さん「まだ、減るじゃろうね。」 私   「ほとんどが漁師をしてるんでしょう。漁の方はいかがですか?」 叶井さん「いま魚が少ないけ、生活していけんね。網で獲るから魚は減る一方じゃ。」 私   「沖家室は一本釣りですね。網の漁を禁止すればいいのに。」 叶井さん「そんなに簡単に出来ることではないよ。 漁協での魚の値も安いし。」 私   「直販したらどうなんですか?」 叶井さん「直販できるほど、まとまった漁がないのよ、漁師全部の漁をまとめて漁協に出すのがやっとよ」 私   「獲れただけ直販できるような仕組みがあればいいのかな?」 叶井さん「何ともいえん」 私   「やはり簡単ではないか。大久保重範さんが家室へ帰ったはずですが元気にしていますか?」 叶井さん 「ああ、元気に漁をしているよ。 だけど漁はさっぱりだと云っとるよ。」 沖家室島の繁栄を一気に取り戻す方法は多分無いだろう、しかし多くの人が少しずつでも沖家室島を思い、応援して行けば何か道が見えるのではないか。 かむろ会ホームページはそう言った意味でも価値があると思う。 かむろ会会員の多くは何年も沖家室島に帰っていないでしょう、日常の仕事で忙しく、どんどん家室の事から遠い所に流されていく感じがあるのでは無いでしょうか、私もそうです。 何時かは家室に住みたい、1年に1週間でも子供の時遊んだ浜で過ごしたい、のどかな洲崎の港越しの瀬戸内海を眺めて居たい。 少しでも多くの家室情報を、会員の話を、話し、書き、聞き、読み、見たりし、少しでも多くの人が沖家室島を思い、訪れる様になれば良いと思う。 大学の先生が研究するに値するほど輝いた歴史があるのだから。多くの「沖家室精神」のDNAを持った人たちが国内、海外問わず活躍しているのだから。 2011年7月13日 八木正共


かむろ会概要  お問い合わせ